高卒工場勤務会社員がオーストラリアでワーホリ後に大学卒業してエンジニアになった話
最近新婚旅行でオーストラリアに行ってきてワーホリや留学生の人たちが頑張ってたので、自分の経験で頑張りたい人や頑張ってる人に対して少しでも応援になればと思ったのでダラダラとブログを書いていきます。今回は学位取得後に就職するところまでブログに書きます。
思って書いた読者像
- 夢を追いかけてる人
- ワーキングホリデーに行くか悩んでる人
- 海外の大学進学または留学に悩んでる人
- オーストラリアの大学がどのようなものか気になる人
Summary
まずはこれまでの自分の経歴を簡単に書きます。自分でも結構特殊だと思います。
- 高校卒業後に自動車メーカーの工場で生産管理部で5年務める
- 仕事を辞めて1年オーストラリアでワーキングホリデー
- オーストラリアの大学に入学、卒業して学士を取得
- 日本でサイバーエージェントにエンジニアとして入社
- 有限会社はこぶね便に入社して一人エンジニアしてる
オーストラリアに渡豪した理由は英語を話せるようになりたかったのとエンジニアの仕事につきたかったからです。
会社員編
高校を卒業して大学には進学せずに地元の自動車メーカーの会社に5年勤めました。
勤めてる間にある日コンビニのレジを待っている時に海外から来てる旅行客に対して拙い英語を使い、タバコを買うのを手伝ったのがきっかけで英語を勉強し始めました。
最初はDuoやForestなどでただ必死に単語と文法を勉強してました。中学時代は英語は一番苦手で最低点をいつも取ってたぐらいです。人って目標ができる、自分が好きなこととなると頑張れるんだなと初めて思いました。
会社のプログラムで3ヶ月フィリピンに有給の語学研修に行くことになり、そこでSpeakingとWritingを最低限のコミュニケーションができるくらいまで伸ばせました。
その後も英語の勉強を続けていく中で次第に英語をもっと使えるようになりたいという思いが芽生え始めてワーホリに行くことにしました。
当時業務でVBAを使い業務効率化をするくらいプログラミング自体は好きだったので、なんなら大学に行ってプログラミングも本格的に学ぼうと思いました。
ワーホリで1年英語を勉強して2年目に大学に進学する計画を立ててあとは実行するだけです。1年ほど迷いましたがこれだけ迷ってるということは行くべきだ!と思い会社を辞めて実行することにし無事に渡豪しました。
当時の上司や同僚も応援してくれたのが嬉しかったです。
ワーホリ編
日本を飛び立つ日、自分が不安と期待でいっぱいのなか、両親が高崎駅のバスターミナルで涙目になりながら見送ってくれたのを鮮明に覚えています。
到着してから2週間ほど旅行も兼ねてシドニーに滞在しました。バックパッカーに滞在し一緒に泊まってた他の国のバッパーの人たと仲良くなったり、一緒に観光したりと楽しく過ごしてました。
その後 Victoria州のWarrnamboolという町にある精肉工場に仕事のために赴き地獄を見ることになりました。精肉工場では肉体労働がメインであり、クリーナーの仕事内容を任され毎日朝6時から15時くらいまで働き、勤務の後には疲れ切って家に着いた瞬間、速攻でシェアルームのベッドで同居人のいびきを聞きながら爆睡する日々でした。
仕事も慣れてきて勤務してから3ヶ月目前で、工場長から部署移動を条件付きで提案されましたが、 伝えられた条件は移動後も半年は最低働く必要があり、それが無理なら本日を持ってクビという内容でした。当時はかなりショックでしたが冷静に考え、2nd Visa を諦めて本来の目的である勉強のためにメルボルンに移動することを決意。ある意味で良いタイミングだったので気持ちよく決断できました。
メルボルンに行ってからは運がよく1回だけレストランの面接で"中国に帰れ!"と差別を受けた初めての差別に浸っている中、2社目のローカルジョブの仕事を手に入れることができました。時給は高く $30/H と結構高めで、内容もハリーポッターなどが上映されてた Princess Theatre という劇場で、Venue Presenter、簡単にいうと劇が始まる前にステージを整えたり、シートの清掃をする内容でした。精肉工場とは天と地の差ほど楽で、ここの職場では今後の在学中4年間もずっとお世話になってました。
大学に入るためにIELTSが一定以上必要だったため、バイトをしつつIELTSの勉強をし始めました、最初は4.5位しかなくてがっかりしましたが、大学入学時には入学条件の6.5を取得することができたのでよかったです。
英語の勉強法は現地のクリスチャン教会に通い、現地の友達を作りまくって3年くらいは日本語を話しませんでした。
大学生編
Melbourne にある Holmesglen TAFE University に入学し、Bachelor of Information technology を学びました。TAFEは日本でいう職業訓練校に近いもので、しっかり学位が取得をしつつ、実践的なプログラムが多い学校です。学費も他の大学に比べて安いので貯金を崩しながらアルバイトで学費と生活費を稼ぎつつ学生生活を過ごしてました。Bachelor of Information technology の授業内容は、情報基礎を学びつつ、他に要件定義から実装・運用を学び、実際にクライアントと共に1つのプロダクトを開発するという普通の大学ではやらないような内容もありました。
不慣れな英語で授業内容を聞き質問しつつ、毎日たくさんの課題を出されそれをこなしていく日々。最初は80人ほどいた同級生たちも卒業時には10人くらいまで減ってました。
教師は幅広い人種がいましたが、基本的にオーストラリア人かインド人でした。生徒も含めてIT系はインドやネパール、スリランカが多く、会計などは逆に中国人やインドネシア人などが多い印象でした。ちなみに日本人は自分だったのでレアキャラとして扱われました。
毎朝6時から10時くらいまで仕事して学校に通い、帰ってきたら課題をこなす生活は厳しかったけれど、とても充実した学生生活にもなりました。また、ちょっと自慢になるけれどそのおかげでGPAも4.0とることができ、最優秀生徒にも選ばれ嬉しかったです。学校からインターン先を紹介していただき、競犬事業でWeb開発として3ヶ月のインターンを経験しました。オーストラリアの会社はまじで緩く、みんな時間ギリギリに出社する割に終業30分前になると帰る支度を始めるのは日本と真逆で面白かったです。15分くらい早く出社してましたが、出社早いとおどかれました。
そんな中迎えたのがCOVID-19。当時ダイアモンド・プリンセス号が日本に入国とオーストラリアまでニュースになって他人事のように仕事中テレビで見てたのをよく覚えてます。そしたら世界中でパンデミックになり大変な思いをしました。住んでたメルボルンは世界中で見てもとても厳しい規制を設けて、ひどい時は1日1時間しか外に出られない、でても家の半径5kmしか外出してはいけなく、友達と会うのも1日1人(1家族の中で)まで、条例を犯したら罰金というひどい具合でした。サービス業だったのでもちろんコロナ中は休み、収入もなくなり国からの支援もなくリアルもやし生活。学校もフルリモートで授業もつまらなく、メンタルも徐々に疲れ切った状態でした。
それでもやってこれたのは友達に恵まれたからです。ちょうどクリスチャン教会の友達が結婚前で家を購入し、結婚までは一緒にすまないか?と提案してくれて家賃もいらないと言ってくれました。本当に神の恵が降りてきたと思い、遠慮なく一緒に住まさせてもらいました。彼らとは今でも深い交流がありちょくちょく日本に来た時、またはオーストラリアに遊びに行った時に一緒に時間を過ごす仲です。さらにリモートでの開発の仕事や日本語の家庭教師の仕事を同じタイミングで手に入れることができ生活費も稼げるようになって学費も問題なく支払うことができるようになりました。この恵がなかったらドロップアウトしてたと思います。
卒業も近づいてきてついに就職活動です。オーストラリアでの就職を最初頑張ってましたが、時期はコロナ真最中、ローカルの人でさえ失業する人が増え、経験も毛が生えたくらいの他国の人にビザを出してくれる企業もなく難航しました。日本の企業も視野に入れ始めてオンラインで日本企業の就活も始めました。いくつか大手企業を受けてみたら速攻で内定をいただき安心しまし、自分がやりたいことをやれそうなサイバーエージェントに就職を決めました。サイバーエージェントでは新卒としての採用でしたが、企業によっては中途だったり第二新卒扱いだったりと、今までにないケースのようで入り口が定まってなかった感じです。卒業ビザとう手もありましたが、自分の好きな開発の仕事をしたいと優先して日本に帰国する事を決意しました。今思えばもう少し頑張ったら現地の就職もできてたかも。(当時色々疲れてたのでok)
卒業もしっかりして帰国の時期が近づき、規制も緩和され最終日は何人かの友達に会うことができ、涙を流しながら日本に帰国しました。その後の社会人生活(2R目)も順調で一歩一歩キャリアを築いていけてます。そのさきはまた別のブログで書くかもしれません。
最後に
何か新しい事を挑戦したい時に年齢やバックグラウンド、不安などが邪魔をしてくると思います。ですが何かを挑戦することが一番大切で素晴らしい事だと思っています。最初の1歩を踏み出せたのであればその後のどんな困難にでも立ち向かうことができると思います。ですから、同じように今、何かに挑戦してみたいけど色々な理由で一歩踏み出せないでいる人がいたら、勇気を持ってそれに挑戦してほしいと心から思います。
また、オーストラリでの大学とかどう英語を身につけた、オーストラリアで現地人との繋がりが欲しい人がいたら連絡してくれたら応援します。